健康を大事にする理由

 まず始めに、「健康」を押し付けるような文章ではない。また、健康だからメリットばかりがあるわけでもなくデメリットも十分にある事も知っている。それぞれの価値観があるから短命県返上とか誰の心にも刺さらない適当で薄っぺらい言葉を言うつもりは毛頭無い。
 私の人生の約40年間を振り返ってみると、病気・障害・家庭環境など自分の能力だけではどうにもならない状況が多々あった。周りからは哀れな目で見られる事を実感する出来事がちらほらあった。

重度の双極性障害者の家族

 通称、躁鬱病といわれ日本人の100人に1人はいると言われる精神疾患である。
家族の一人がこれである。私が物心ついたころには、この症状を抱える人間が身内にいて、入退院を繰り返すほどであった。
躁状態と鬱状態で全くの別人になる。信じてもらえないと思うが、ホラー映画に出てくるゾンビのような状態で理性が正常に保てなくなり、体力とお金を全て無くなる限界まで使い切る。そのまま当人を病院へ無理やり入院させるのが一連の流れだ。薬で治るような単純な病気ではない。ましてやその薬によって正常な思考ができない負のループ。
 ネットも何も情報が無いので、兄妹や親戚は理解してもらえず全員離れていった。
1人では生きていけないので、家族は何とか理解して受け入れるしかなかった。くつろげるはずの我が家が居心地が悪く、みんな家に居たくないのが伝わってくる。
「病気は本人もつらいが、その周りも少なからず苦痛である」
10人中1人も理解してもらえない。大抵の人は病人になるか、実際に介護する段階で初めて理解していく訳で、そうなって健康の大切さを理解しても行動には移せない人も大勢いる。


 その環境下で沢山の方に手を差し伸べて頂き、救われ妙に特別扱いされる場面もあった。その都度、他責や自己卑下・心理的回避を辿り、現実と向き合い現在このステージにいる。外からは決して見えない、根っこの部分の闇とほんの少しの規律と自信が裏付けている。

予防と自己管理

 現代の情報社会で、病気になる前に自分の身体の事を理解し、未病を対処する事は難しくはない。お金が無くてもできる。しかし、ほとんどの人は自分が良ければそれでいい、自分自身が苦しむだけしか考えない。結果的に医療費負担増加に繋がる。健康を害すると稼ぐ気力も無くなる。さらに、周りも今は直す事に専念するという空気感になる。

わたしができる事

社会的に健康維持は肯定的な印象で捉えられているが、その先に何をしたいか。

仕事や競技パフォーマンスを上げたい、新しい事に挑戦したい、病気や体力の低下を予防して活力維持、健やかな発育発達など…。

乳児期は教えられる事なく、探索・表現・工夫などの発達過程を辿る。様々な環境との相互作用があり、その根底には「能動的で好奇心に基づき、~したい」があると言われている。人間として成熟した我々は逆もある。(動いてたら気分転換になったなど)

運動を通して自己実現のお手伝いをしたい。一方的な運動を教える場所ではなく、続ける環境、楽しい環境、無理なく生活の一部に組み込める環境、仲間と一緒に運動する環境を作りその延長線上で「前向きな根拠ある変化」をともに喜び提供できるように運営していく所存である。
 この為に、本格的に商品として価値提供ができるように、資格取得や医療機関との関係づくり、運動科学についての学びなどおよそ5年を要した。これが何者でもない、わたしができる事である。

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